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自分の青年期。

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サーフィンとスノーボード生活の履歴。

18歳から万座温泉のリゾートバイトに行きます。
その冬、あまりのスノーボード楽しさにはまり、シーズン中に北海道のキロロのリゾートバイト変更。
ここで19歳に・・・。
そして更に、山形の月山近くの工場で勤務。休みの日に月山に滑りに行きます。
(ニュージーランドに行く為、一ヶ月で50万円の激務でした。)
そのまま、地球の反対側のニュ-ジーランドワープ!

日本へ戻り、今度はアルツでバイト。
ここで20歳に・・・。

その歳の初夏。有るサーファーの先輩に、雪の競技の方が根性有ると言ってしまう。
そこでサーファーの偉大さを知る。
サイズは胸肩だったと思います。
海に着き、自信満々の自分はパドルで2時間もしないうちにビーチで体育座り。しかもふて寝。
プライドは粉々になります。

シンプルな頭の作りの若かりし頃の自分は、阿字ヶ浦の工場に勤めながら毎日海に入れる生活をします。
そこで2ヶ月かけて初めてのテイクオフ!
その景色。その時の板の下で動く波。
よっしゃー!と叫んで!周りの人の他人なのにやさしい笑顔。
一生忘れません。

でも一度身に付けてしまった。
雪の生活も忘れられず。
冬の始まりと共に、箕輪スキー場に移住。
ここで21歳に・・・。

春の訪れと共に、今度は波崎の知人宅で深夜のアルバイトをしながら居候生活。
毎日海生活を満喫。

冬の訪れと共に、アルツでアルバイト。
ここで22歳に・・・。
また春から工場でアルバイト。
6月~ニュージーランドへワープ!
3ヶ月スノーボード三昧。
運命の人(嫁)に出会う。

9月オーストラリアへワープ!
3ヶ月波乗り三昧。

12月石打丸山にワープ!
ここで23歳に・・・。

そして某スポーツショップでお仕事。

ココまで遊んでいるようにしか見えないかもしれませんが、トレーニングもして、スノーボードでは一年目から、サーフィンでは3年目から、大会なども出ていました。

24歳、某競技専門の治療院に弟子入り。
ここから自分のトレーナーへの道が始まる。

※遊び人の様な生き方の言い訳。
自分は、側わん症という疾患と共に生きています。

十代の頃ドクターに、手術をしなければ、いつ歩けなくなってもおかしく無いと言われていました。
なので、自分の足が自由なうちにと言う思いも強く。

好きなように生きていました。
一般的に、健康で長い人生の中で考える青年期とは少し違いました。

皆さんより、少し限られた中で生きる考えです。
皆さんは、若い時に将来の自分を思い描き色々な我慢を出来たかも知れませんが、自分には将来を描くには「どうせ!歩けなくなる!」という思いもくっついてきます。
今、やりたい事をやらなくていけないと思っていました。

人は余命を聞いてから人生観が一気に変わる事が有ると聞きます。
自分もそれはそうだと思っています。

余命が後1年と決まっていても今の様な生き方をするのか?
安全で長く生きる事が当たり前の人は無難な生き方を選びます。
でも余命が解れば人の人生は変わると思います。

現在、側弯症は無症状で悪化もしていません。
鍼灸の勉強やトレーナーの勉強をしたお陰でむしろ皆さんより健康で長生き出来るかもしれません。

側弯症とは、原因もはっきりせず。
予後もはっきりしないので、現在多くの患者さんが暗中模索しています。

自分も実際は解りません。
でも今は大丈夫だと思っています。

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