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なぜ鍼灸師になろうとしたのか。

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私は鍼灸師の息子である。

高校を出てすぐ何となく受けた鍼灸学校の受験に失敗した。

2次試験で倍率は30倍有り、面接では寄付金はいくら出せるかと聞かれた事で、ずいぶんいやらしい世界だなと思い当時、絶対になりたかったわけでもなく簡単にあきらめてしまいました。

まだ鍼灸師を目指す前

そんなこんなで、すぐ近所のガソリンスタンドに就職、そこで先輩にスノーボードに連れて行ってもらい、のめりこんでしまいました。
翌年にはスキー場で働いてました、とにかく無我夢中とはあの当時の事だと思います。
働ける限り働き、滑れる限り滑って、雪が無くなれば北海道で働き、北海道に無くなれば山形の月山の近くの工場で働き、滑り、夏がちかづき、国内が駄目なら地球の反対側へと、滑りに行く。夢中になっていました。

自分がやりたいものはこれなんだと妙な確信をもっていました。翌年には大会に出るようになり、現実を思い知らされました。
人が上手いと言ってくれても、大会に勝てる訳ではなかった。
ある大会で難しい技にチャレンジして、左肩脱臼、さらに脱臼した翌日にも、職場のスキー場の大会があり無理に出場、肩をかっばって転倒、脳挫傷、右手首の骨折も追加された。気が付けば両手は動かず、頭もボーっとしていた。骨折や捻挫は良くしていたので何とかなると思っていたが、脱臼は別格だった。朝痛みで目覚め肩が外れている、ジャンプすると肩が外れる。

今思えばあせらずじっくり直せばよっかたのに、今ならこんな患者さんが来たら良いアドバイスが出来るのにと思う。
しかし私はあせっていたので、少し痛みが減れば飛んで肩を外す事の繰り返しだった。

長い前フリでしたがここで父とは違う鍼灸師に出会う。驚いた事に何処へいっても上がらなかった肩が20分程度の治療で上がった。すごさは感じたものの、まだスノーボードしていたかったし、鍼灸師に成る決意にはいたらなかった。

鍼灸師への転換期

前回の肩の脱臼から、数ヶ月後、スノーボードが生かせる職場と言うことで、某スポーツショップの店員になりました。
ここで、サーフィンに出会います。

そして、自分のお店のとあるプロサーファーがハワイの大会に鍼灸師を同伴させた事を知ります。
更にテレビを見ても、プロ野球選手が鍼を受けている姿が良く映され、しまいには後輩に鍼灸師が就職してきたり、何だか今までの東洋医学のイメージと変わってきます。

今までの鍼灸師のイメージは父です。

東洋医学を駆使して難病と向き合い、患者さんの人生と向き合い、夜中まで勉強して、病院よりいい結果を出しても世の中にはなかなか受け入れてもらえない。
やりがいはあっても、厳しく、苦しい世界だと思っていました。

そのイメージが変わっていきます。

ある鍼灸師はプロ野球選手との契約で、都内にマンションまで用意してもらい、かなり魅力的な収入。
ある鍼灸師はオリンピックの帯同トレーナーとして金メダリストのサポートをしている。

このような事が続いた。あるお正月、父の年賀状を見かけます。
単純に患者さんから、感謝の年賀状がもらえる仕事は凄いなと思います。
(当時はこんなもんかと思ったかも知れませんが、今思えば凄い枚数なんだと感じます。)

そんな頃、そろそろ鍼灸師になろうかと思い、再度受験をこころみ、晴れて鍼灸師の学校へ入学。
そして安易に、鍼灸師になったら成功出来ると思っていた自分を、現実が厳しく出迎えてくれました。

鍼灸師への道が始まる

入学して早々、先生から(某大学助教授)

「鍼灸師の一般的なお給料は少ないです。」
「お金持ちになりたい人は早くやめた方が懸命ですよ!」
「しかも、クラスの三割は国家試験にも受かりません。」
「更に10人に1人しか5年以上、鍼灸の仕事を続ける人はいません、そんなものです。」
「ただ、1000人に1人の逸材になれば、高級車を乗り回す鍼灸師になれるかもしれません。」
「でも現実的ではないです。」
「他に、整骨院の免許も取れば人並みのお給料は貰えるかも知れません、ただお給料の分だけ不正請求をして、嘘をつかなければいけないかもしれません。」
「でもこの方がこの方が現実的です。」

マジですかー?と大いに凹みました。
しかし、まずはクラスで一番を目指さなくてはいけません。

そして、周りを冷静に分析すると、
有名大学卒、看護師や理学療法士、柔道整復師、元中国のドクターなど・・・

スポーツでは、バスケット実業団出身(ジュニア時代は全日本代表)、有名高校野球部のエース、新体操の全国経験者など・・・

かたや、自分は高学歴でもなく、水泳で柏で2位程度、サーフィンもスノーボードも全国大会など出たこともありません。

「嘘だろう・・・」
「無理か・・・」
「いやいや、サーフィンだって、100人やって1人しか波に乗れずサーフィンを続けられないんだ!」
「昔の学歴や経歴よりも、誰よりも、技術で上に行けばいいんだ!」
「誰よりも、治す為の技術や知識をつければいいんだ!」

ここから、朝から夕方まで学校、夕方から夜まで仕事、休みは全て仕事、そんな3年間がはじまります。

学生時代

一年生スタート。

ここで、学生時代の一つの悩みに出くわします。
自分の場合、奨学金で学校に行っていましたが、奨学金、月に10万円はキレイに学費として消えます。
生活費を稼がなくてはいけません。

ここで、各治療院のバイトを探します。
基本的に技術をメインに教えてくれるような所では、お給料は出ません。
お給料の良い所を探すと、サービス業か、整骨院しかありません。

ここで、間を取って自分が選択したのが、お給料はそこそこでも、技術もそこそこの治療院です。
※ちなみに鍼灸学校は、国家試験の予備校のような物です。
腕の良い先生は基本的に教員にはなりません、(例外もあります)
なので技術は外で手に入れるしかありません。

ここで、いい感じの先生に出会います。

この先生に言われた事。
最後には、独立開業をするのだから、色々な治療法(技)を盗んでおいたほうが良い。
普通の腰痛の治し方一つでも、色々有る。色々知っていれば、これが一番早いと解るけど、一つの流派しか知らない人は、遅い治し方しか知らないかもしれない。

いろいろ働くと、院長の得意な技術がある。
例えば、この先生は、肩こりは良く治せるけど、膝や腰はあまり得意ではない。

その先生のオススメは半年で、有名な先生の技を盗む事。
各流派の有名な先生について勉強してしまう。

有名な先生の勉強会には、何万もかかるでも、働いてしまえば、少ないが、お給料も入って勉強も出来る。

大体、有名な先生は厳しい。
ドSばかりです。
でも、半年なら我慢できるし、熱心に勉強できる。

その職場での先輩を指し
「ほら、何年もココにいるから、手を抜いているし、ここで満足している。
色々、治療院まわると、あの先生はあれしか出来ないのに満足していると思ってしまうよ。」

「君も開業するのなら、引き出しは多いに越した事は無い。」

「自分達の仕事は技術職だと思う。一般的なサラリーマンの様に何年も同じ場所で働くより、渡り板さん(色々な経験をしている板前さん)の様に技を増やす方が良いよ!」

「ここの院長は凄いけど、自分とは確実に違うのだから、全てまねをしても同じにはならない。
最後は必ず自分流になるんだから、技の数は多い方が良いよ!」

この先生のアドバイスに自分も感銘を受け、その後、自分は一年おきに仕事を変えた。

それから数年経ち開業に至り…現在

半年前ほどからでしょうか、求人について学校や個人からの問い合わせを頂きました。

自分は、人を雇いたい半分、死ぬまで一人でやろうと思う気持ち半分で今まで来ました。
人を雇う事で、多くの患者さんを診ることは出来る様になりますが、その反面、人を雇うことについてはとても責任の有る事だと思っています。

なので簡単には出来ません。

鍼灸師の生き方も色々です。
自分の様に鍼灸だけで食べて行くのも良いことだと思います。
柔道整復師を取り、鍼灸整骨院にするのも、代表的な生き様だと思います。
プロトレーナーを目指すのも良いです。
病院勤務を目指すのも良いです。
駅前のマッサージ中心でおまけで鍼を使う所で、ビジネスを学ぶのも良いです。
教員養成科に行き、乱立中の鍼灸学校で講師をするのも悪くは無いです。

ただ、どれも決して楽な道では有りません。

鍼灸だけで食べる気で有れば、100分の1を目指さなくてはいけません。
要は、学年で一番です。
それも、頭よりも自分は、技術だと思っています。
現行の国家試験では、技術の試験が有りませんから、皆さん知識ばかりを追いかけ過ぎて、実際の治療で大事な物を忘れているのではと思うことも多いです。
例えば、生理学や病理学がとても優秀でも、筋肉は解らない。疾患を鑑別する為のテスト法が解らない、では現場だとただの頭でっかちで使えません。

テスト勉強も現場を考えてすると楽しくなると思います。
例えば、肩コリを治す為に、必用な筋を覚えれば、そこにまつわるツボや神経、血管、臓器が見えてきます。
それを、緩める為の理論も沢山あります。
友達でも家族でも良いので治してあげる為の勉強をすれば、国家試験は必然的に受かります。
※ただ、勉強するほどに、国家試験問題のおかしな部分にも気が付くと思いますが、それは国家試験に順ずる事です。

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